ブックタイトル年報_第5号(電子ブック)

ページ
5/104

このページは 年報_第5号(電子ブック) の電子ブックに掲載されている5ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

年報_第5号(電子ブック)

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

年報_第5号(電子ブック)

年報2012年第5号Miki-Sanyo Hospital私の夢と三木山陽病院名誉理事長吉田泰昭“夢”という字を広辞苑で調べると4つの説明があり、その最後にこう書かれています。“将来実現したい願い”。私は人生に葛藤していた40代に、夢の持ち方について詳しく書かれた一冊の書物に出会いました。「出来るだけ多くの夢を持ちなさい。4つや5つの夢ではなく、100以上の夢を持ちなさい。」と書かれていました。私は、驚きを通り越して、何か間違っているのではないかとさえ感じましたが、読み進んでいくと、その夢を実現する方法として「ただそうなったらいいなあーと夢見るだけではだめです。常にその夢が実現している状況を頭の中に思い描くことを繰り返すことである」と書かれていました。私は懸念を持ちながらも、この本を繰り返し読んでいるうちに、欲しい物、行きたい所、したい事などが自然に頭の中で次々と増えていきました。すると不思議なことに、それらが思いもかけずに手に入ったり、実現したりするようになってきました。そして今、三木山陽病院の責任者として過ごした17年間を振り返ってみますと、幾多の困難にも遭遇しましたが、その度に多くの方々に支えられ、助けられながら、“こうなったらいいなあー”との思いに近い形でほとんどが進展し、また解決されていきました。今、思い返せば、自分の描いた大、小、数百の夢の85%は実現したように感じられます。中でも、今から35年前、森田先生と語った夢が三木山陽病院の開設へと私を向かわせていたのだと思います。それは、森田先生が卒後2年目に高砂市民病院に勤務されていた時のことです。同時期に、私も同じ病院に勤めていました。そんなある時、2人で近くの民間病院に招かれた帰りに、私は何気なく、2人で力を合わせたらいい病院ができるだろうなー、作りたいなあーと話したことを今でもはっきりと覚えています。それから17年後に三木山陽病院を開設することになりました。その後、神戸大学病院第二内科助教授の地位におられた森田先生に、三木の小さな民間病院に来ていただける可能性は常識的には皆無に近いことですが、私はそれが実現した日のことばかりを夢見るようになりました。結果については言うまでもありません。私は、この“夢”に心から感謝する共に、これからもできるだけ多くの夢を持って歩んでいきたいと思います。と同時に、できるだけ多くの人に夢を持つことの大切さを伝えていきたいと考えています。私が生み、森田先生と共に育てた三木山陽病院が森田理事長のもと、地域の基幹病院として、飛躍、発展していくことも私の大きな夢の一つです。3